人って、必ず死ぬんです、死亡率100%です
ただ、いつ死ぬのかは、誰にもわからないんですよね
ただ、病気や老衰で亡くなる人は、なんとなくの時期がわかるでしょうか
死に時
そうはいっても、死に時っていうのは誰にもわからないもの
看護師をしていたときに思ったのは、人の寿命ってわからないなぁってこと
「かなり危険な状態です、いつ亡くなってもおかしくないです」と医師から説明されたけれど、それから半年以上も生きた患者さん
元気だと思っていたのに、夜に見に行った時には息をしていなかった患者さん
数日後に退院が決まっていたのに、急に亡くなってしまった患者さん
いろんな患者さんがいました・・・
あとは、看護師あるあるで
ある看護師が夜勤の時に、患者さんが亡くなることが多いってことがあったり
それは、人をみて(選んで)亡くなっているんじゃないかって
あくまで根拠のない推測なんですけれどね
でも、なんとなく患者さん自身が〝死に時〟を自分できめているんじゃないかって思うこともあるんですよね
エピソード
最近読んだ電子書籍のマンガ「Bread&Butter」
パン屋さんのまわりで起きているいろんな話を描いているのですが
飼っていた老犬が亡くなったというお客さん(元編集者さん)のことば
「もう、老犬だったからねぇ、ろくに動けなくなって半年ほど介護生活だったんだけど、その日は呼吸もおだやかで、だからほんの小一時間近所に散髪に出かけたの、その間に死んじゃって、泣くに泣けないよ」
犬も亡くなるタイミングをみているんでしょうね・・・
私、看護師になって1年目の時に亡くなった患者さんのことを時々思い出すんですけれど
当時の病院は、患者さんのご家族が付き添っていてもいい時代で
その患者さんは、がんの終末期、それこそ、いつ亡くなってもおかしくない状態で、奥さんがつきっきりで看病していたんです
でも、患者さんの状態も落ち着いているし、「少し家に帰って休んできたら」って声をかけて
「じゃぁ、少しだけ帰ってお風呂だけ入ってくるね」って、ほんの数時間だけ側を離れたんですよね
それまでずっと側にいた奥さんが、いなくなったとたんにその患者さん・・・息を引き取ったんです
その時は、奥さんを帰らせなければ良かったとか、なんでこのタイミングなん?とかいろいろ思ったんですけれど
でも、患者さん自身がこのタイミングを選んだのかもなぁ・・・って思うようになったんです
1人で逝きたい人、家族に囲まれて逝きたい人、いろいろです
だから、家族は責任を負わなくてもいいんですよ、きっと
後悔はどんなときも
電子書籍のマンガ「Bread&Butter」にこんなフレーズが出てくるんです
「どんな見送り方でも、きっと悔いは残るものですよ」
これ、ほんとにそうだなぁって思って・・・
死に時ばかりじゃなくて、そこに至る過程で、治療とかいろんな選択肢がたくさんあって
そこでいっぱい悩んでいろんな選択をしてきた
そのことも含めて、どんな選択であっても、やっぱり悔いって残るんですよね、きっと
だから、その時その時で一生懸命考えて選択するしかないんだよなぁって思う
そして死に時に会えなかったとしても、それも、その方が望んだことなんだって思えたら少し楽になるんかなぁ・・・
私も、父の最後は全く間に合わず、それまでも全然会いにも行ってなかったから、少し心にひっかかっているんですよね・・・
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